野村克也の前夫人との離婚理由は不倫!子供の現在はプロ野球選手?

元プロ野球選手で長年ヤクルトなどの監督も務めた野村克也さん。

今回は、そんな野村さんが前夫人と離婚した理由は不倫なのか?

また、前夫人との間に生まれた子どもの現在はプロ野球選手なのかについてお伝えしていきます!

野村克也の前夫人との離婚理由は不倫?

名前 野村克也(のむらかつや)
生年月日 1935年6月29日
出身地 京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)
血液型 B型
身長 175cm
体重 85kg

プロ野球歴代2位の通算3017試合出場、同2位の通算657本塁打を放ち、監督としても南海、ヤクルト、阪神、楽天の通算24年間で歴代5位の1565勝を挙げた野村克也さん。

2017年に死別した野村沙知代さんとは球界きってのおしどり夫婦として知られていましたよね。

しかし、そんなサッチーと結婚する前に、別の方と結婚していた事実を知る方は少ないと思います。

そこで、ここからは野村克也さんと前夫人についてお伝えしていきます。

結婚&子ども

野村克也さんは1960年に前夫人と結婚。

翌年の1961年には長男が生まれています。

左側に立っている女性が前夫人の正子(まさこ)さん、野村克也さんが抱っこしているのが子どもの陽一くんです。

正子さんは横顔しか見えませんが、かなりのべっぴんさんであることが分かりますよね。

また、正子さんは南海電鉄の社長令嬢だったそうで、家柄もかなり裕福だったそうです。

そんな前夫人と結婚して以降は野村克也さんも気合が入ったのか、それからの活躍は凄いものがありました。

その結婚した翌年の1961年以降の成績はこちらです。

  • 6年連続で打点王を獲得(1962~1967)
  • 8年連続でホームラン王を獲得(1961~1968)
  • 戦後初の三冠王(打率・打点・ホームラン)を獲得
  • (1965)

とんでもない記録ですよね。

そんな野村選手を影で支えた正子さんは周囲からの評判も良く『自分は一歩引いて、旦那さんを立てるタイプの人』と言われていたそうです。

離婚

しかし、順風満帆だった2人は1968年頃に別居を開始。

別居中の1970年に、野村克也さんは後に二人目の奥さんとなる沙知代さんと出会い、3年後の1973年に沙知代さんとの間に子どもを授かります。

ただこの時はまだ前夫人の正子さんとは籍が入ったままで、離婚は成立していませんでした。

なんでもその理由は正子さんに離婚する気がなかったからだそうです。

結局その後も正子さんは離婚を拒み、離婚が成立したのは1978年の別居してから実に10年後のことでした。

では、なぜ2人は別居を経て離婚したのか気になりますよね。

おそらくここまで見た多くの方は「野村克也さんが浮気し、前夫人の正子さんがそれでも野村さんを慕っていた」と推測すると思います。

しかし、野村克也さんは前夫人との離婚についてメディアに以下のように発言されました。

前夫人が浮気をしたからで、自分が前妻を捨てたのではない。事実は逆

そのため、野村克也さんの不倫が原因で離婚したのではなかったそうです。

野村克也の子供の現在はプロ野球選手?

そんな野村克也さんには前夫人との間にも息子が1人、沙知代さんとの間に息子が1人、沙知代さんの連れ子が2人の計4人の子どもがいました。

前夫人との子ども

前夫人の正子さんとの間に生まれた陽一くんは1978年の離婚後、正子さんの元に引き取られたと思われます。

そのため、現在は一般の方として生活されているのではないでしょうか。

沙知代さんとの子ども

名前 野村克則(のむらかつのり)
出身地 東京都目黒区(大阪府豊中市生まれ)
生年月日 1973年7月23日

沙知代との間に生まれた野村克則さんは大学卒業後、父親と同じようにプロ野球選手の道に歩まれました。

しかし、渡り歩いた4球団中、3球団で父が監督を務めるという状況でしたが、選手としては大成せず通算8年で引退。

その後は、指導者として重宝され、楽天でバッテリーコーチなどを歴任。

2010年からは巨人の二軍コーチに就任すると、2014年からはヤクルトコーチに就任し、2015年のリーグ優勝に貢献されました。

そして、2019年より東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリー兼守備作戦コーチを務め、2020年からは一軍作戦コーチに就任されました。

沙知代さんの連れ子

野村沙知代さんは、野村克也さんと結婚する前の1957年にアメリカ人男性と結婚し、2人の子供を出産していました。

名前 団野村(ダン野村)
日本名 野村克晃(のむら かつあき)
生年月日 1957年5月17日
出身地 大阪府

団野村さんは野村沙知代さんの長男で、アメリカの大学を卒業後、1977年にヤクルトスワローズにドラフト外でテスト生として入団されています。

しかし、一軍公式戦出場のないまま退団。

退団後は、テレビでメジャーリーグベースボール(MLB)の解説などを行い、現在は日本人選手を主な顧客とする契約交渉代理人を務めておられます。

過去には、当時近鉄のエースだった野茂英雄さんの代理人も務めておられました。

名前 ケニー野村
日本名 野村克彦(のむら かつひこ)
生年月日 1959年2月27日
出身地 東京都目黒区

ケニー野村さんは野村沙知代さんの次男で、アメリカの大学を中退後の1979年にドラフト外で広島東洋カープに入団し、2年間在籍。

次いで1982年からの2年間を日本ハムファイターズで過ごしたが、最後まで一軍でプレーする機会はなく引退。

その後は、都内に住みながら日本やアメリカで、スポーツアドバイザーとして活動されています。

ちなみに、ケニー野村さんの娘である野村沙亜也さんは、大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの球団職員として働いておられます。

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まとめ

今回は、野村克也さんの前夫人との離婚理由や子供の現在についてお伝えしていきました。

前夫人である正子さんとの離婚理由は野村克也さんの不倫かと思ったら、正子さんの不倫が原因でしたね。

また、子どもの現在は陽一さんだけ分かりませんでしたが、後の3人はコーチや代理人、スポーツアドバイザーなど野球に関わるお仕事をされていました。

これも父親である野村克也さんの影響が大きく出ているのかもしれませんね!

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