2019年8月2日公開の映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の制作者委員会を相手取り、小説家の久美沙織さんが民事訴訟を起こしたことが話題になっています。
そこで今回は、そんなドラクエ小説版の作者・久美沙織さんの経歴やプロフィールについてまとめていきます!
また、久美さんの若い頃が美人で可愛いと判明したので、画像とともにお伝えします。
久美沙織(ドラクエ)の経歴やプロフィール!
- ペンネーム 久美沙織
- 生年月日 1959年4月30日
- 出身地 岩手県盛岡市
- 在住地 長野県軽井沢町
- 職業 小説家
久美沙織(くみさおり)さんの本名は波多野稲子(旧姓:菅原)さんです。
また、ペンネームは山吉あい(やまよしあい)、五連星いつみ(すばるいつみ)を経て現在の名に至っているそうです。
経歴
久美沙織さんは、大田区立大森第六中学校、
岩手県立盛岡第一高等学校を経て、
上智大学文学部哲学科を卒業しておられます。
そして、20歳の1979年、小説誌『小説ジュニア』(後の『Cobalt』)4月号にて、山吉あい名義の作品『水曜日の夢はとっても綺麗な悪夢だった』で小説家デビューを果たされます!
ちなみに、山吉あいというペンネームはこの時だけだったそうです。
その後は、1981年に初の単行本『宿なしミウ』を出版。
1984年、『丘の家のミッキー』第1作を出版。
のちに、同作品は1年に2作程度のペースでシリーズ化し、最盛期には初版が10万部以上刷られていたそうです。
ちなみに、最終巻である第10巻は1988年に出版されました。
また、もともとゲーム好きだった久美沙織さんは、
1989年に初のゲーム関連作品『MOTHER』を出版されます。
この作品を皮切りに『ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説』など、エニックス関連作品などのノベライズを手がけられました。
その後は、1992年に同じ小説家である波多野鷹(ハタノヨウ)さんと結婚
これを機に軽井沢へと転居されています。
そして、1993年には小説ハウツー本である『新人賞の獲り方教えます』を出版。
以後、ホラー、ミステリーなど幅広いジャンルでも一定の成果を残し、現在に至っています!
久美沙織の若い頃が美人で可愛い!
そんな久美沙織さんは、1981年に発売された小説誌『小説ジュニア』12月号にて、顔出しでインタビューに答えておられました。
実際の画像がこちらです。
どうですか?
美人さんですよね。
ちなみに、このときの久美さんは大学生です。
まとめ
今回は、ドラクエ小説版の作者・久美沙織さんの経歴やプロフィールについてまとめていきました。
20歳のときから小説家として活躍されていて凄いですね!
また、久美さんの若い頃の画像も見ていきました。
美人で可愛らしかったですね。
そんな久美沙織さんの今後の活躍にも期待したいです!!
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